敬天寺十層石塔

高麗の忠穆王(チュンモグヮン)の4(1348)年、高麗の都であった開城(ケソン)の敬天寺に建てられた大理石製の石塔です。石塔の第1層には、建立年代と支援者の名前、そして建立の背景に関する文が刻まれています。支援者は、元と関係のある人物であることが分かります。敬天寺石塔は、木造建築を模した構造をもち、各層には繊細な仏像彫刻がほどこされています。基壇部には小説『西遊記』の場面、獅子、龍、蓮華が、第1層から第4層には仏や菩薩による法会が、そして第5層から第10層には、手印を結んだ仏が、それぞれ彫刻されています。石塔の基壇部から第3層までは、四方に突出部を持った平面構造をなしており、元で流行したモンゴル・チベット系の塔に似ています。一方、第4層から第10層までの平面構造は正方形で、韓国古来の石塔様式です。敬天寺の建立からおよそ120年後、朝鮮王朝の王室において、材質と形を模した石塔が、ソウルの円覚寺に建てられました。敬天寺石塔は、1907年に日本の宮内大臣である田中光顕が日本に密かに持ち出しましたが、英国人ジャーナリストのE・ベデル(韓国名は裴説)と、アメリカ人ジャーナリストのH・ハルバート(韓国名は轄甫)の尽力により、1918年に返還されました。1960年にソウルの景福宮に復元されましたが、酸性雨や風化によって保存状態が次第に悪化し、1995年から解体・修理が行われ、2005年、ソウルの龍山(ヨンサン)にある国立中央博物館の建物内部に復元、展示されています。

収蔵品データベースへ