重要
敬天寺十層石塔
  • 年代

    高麗

  • 出土地点

    京畿道

  • 材料

  • 寸法

    高さ1350cm

  • 指定文化財

    86

  • 番号

    本館 6753

わが国における塔の製作技術は仏教の伝来とともに発展した。中国では煉瓦の塔が、日本では木製の塔が主流だったが、韓国では石塔が多く、本格的に制作されたのは7世紀からである。

韓国の石塔の材質は花崗岩が多かったが、敬天寺(キョンチョンサ)・十層石塔は韓国初の大理石の石塔である。従来のシンプルな形とは異なり、三段の基壇と塔身の三層までは、上から見下ろすと「亜」の字の形をしており、四層は正方形の形をしている。基壇と塔身には仏陀、菩薩、草花の文様などが優れた彫刻技法により刻まれており、一層の塔身には、高麗・忠穆王(チュンモクワン:高麗の第29代の王)4(1348)に建てられたと記されている。屋蓋の軒が高麗時代の木造建築の構造であり、このような様式は朝鮮時代の円覚寺址(ウォンガクサジ)・十層石塔(国宝第2)にも影響を及ぼした。

本来、北朝鮮の京畿道(キョンギド)・開豊郡(ケプングン)にあったが、1907年、日本の宮内大臣の田中光顕により日本に不法搬出されたものを、イギリスのジャーナリスト、E. Bethellとアメリカのジャーナリスト、H. Hulbertなどの努力により、1918年返還された。その後、1960年に、景福宮(キョンボックン)に復元された。酸性雨と風化作用により毀損され、1995年から2005年まで11年間、保存処理を経て現在の場所、「Path to History」に復元・展示されている。