号牌
- 年代
朝鮮
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材料
骨角貝甲
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寸法
9×2.7内外
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番号
南山 2582
朝鮮後期につくられた号牌6点である。6点のうち3点は国立中央博物館にあり、残り3点は国立全州博物館に展示されている。
朝鮮時代には号牌法によって16歳以上の男子はみな号牌(名札)を携帯せねばならなかったが、これは人口数を把握し、身分を証明するためであった。1677年(粛宗3年)に編纂された『号牌事目』によると、号牌の材質は二品以上なら象牙でつくった牙牌、三品以下なら角でつくった角牌、生員や進士ならチョウセンヒメツゲという木でつくった黄楊木牌を使用するよう規定されている。
1)申在默の号牌:前面には“申在默 乙酉生 甲寅武科”、後面には“乙丑”とあり、号牌の発給年度が記されている。号牌に記載された内容を通じ、申在默は乙酉年に生まれ、甲寅年に武科に及第したことがわかる。
2)任盛祚の号牌:前面には“任盛祚 壬申生 癸亥嘉善”、後面には“癸亥”とあり、号牌の発給年度が記されている。号牌が発給された当時、任盛祚の品階は從二品の嘉善大夫であったことがわかるが、具体的にどのような職責をもっていたかはわからない。
3)趙東完の号牌:前面には“趙東完 丙子生 壬辰文科”、後面には“辛丑”とあり、号牌の発給年度が記されている。号牌に記載された内容を通じ、趙東完は丙子年に生まれ、壬辰年に文科に及第したことがわかる。