鉄製金銀入糸壷鐙
  • 年代

    統一新羅

  • 材料

    金屬 - 鉄製

  • 寸法

    高24.4

  • 番号

    本館 13557

日本植民地時代に黄海道平山で統一新羅時代の匙、皿などとともに発見された統一新羅時代の鐙であると推定される。
鐙は乗馬時に足をかけて上がるのに便利で、走る時に両側の足を差し込み、安定を維持することができるように考案された馬具の一つである。
足をかける部分の形態によって大きく環形と袋形に分かれる。袋型は、環形に比べて少なく、実用的なものとみるよりは儀式用とみられる。三国時代の袋形の鐙は陜川磻渓堤の加耶古墳から出土しており、統一新羅以後のものとしては益山弥勒寺址と光陽馬老山城などから出土している。
鉄が腐食して外面の入糸部分が多く取れてしまっているが、保存処理の後、部分的に残る文様を確認したところ、外面いっぱいに天馬が金と銀で入糸されていた。また、壷鐙の周縁には龍のうろこの装飾が残るところからみて、龍文で装飾されていたことがわかる。
このような天馬文様は早い時期に三国時代の天馬塚から発見された「天馬図」にその事例を求めることができる。左右にはそれぞれ一匹ずつの天馬が非常に生動感あふれ表現されている。特に天馬の中の片方は面象嵌を主とし、もう一方は線象嵌を主としており、これはおそらく雄と雌を別々に表現したものと推定される。悠然としながらも力強く舞い上がるたてがみと迫力感を感じさせながら踏み出す蹄が、非常に精巧かつ力強く描写されている。