黒褐釉瓶
  • 年代

    中国

  • 材料

    陶磁器 - 黒釉

  • 寸法

    高19.7、径16.3

  • 番号

    本館 215

黒釉磁器は、二酸化鉄及び少量のマンガン、コバルト、銅などの二酸化着色材料によって色を出す。黒釉磁気の出現は、東漢中晩期で、最も成功したのは浙江省の徳清窯である。北方黒釉のはじまりは、南方よりも300年遅れをとる。北方の最も早い時期の黒釉は、河北贊皇県、東魏時代の李希宗墓から出土した黒釉磁器である。唐代北方の黒釉の生産は普遍的で、最も有名なものは、陝西銅川黄堡窯から出土した黒釉塔式蓋罐である。
唐代の中期には山西の渾源窯から外面は黒釉で、内面は白釉を施した黒釉椀が制作された。宋金代の黒釉は生産量が多く、南方地区は建窯、吉州窯などで焼かれ、北方地区は河南、河北、山東の地で焼かれた。黒釉は、明清代にも変わらぬ寵愛を受けた。
この遺物は、薄い口縁、短く細い頸(くび)、丸みを持った胴、隠された假圈足の形態を持つ瓶である。畳付を除いた全体に黒褐色釉が塗られており、その上に均一な形態の黄褐釉の点文様が被せられている。