百済砂宅智積碑拓本
  • 年代

    百済

  • 材料

  • 寸法

    169.9x53.0

  • 番号

    新收 8001

4行、行14字からなる碑文で、碁盤の目のように線が引かれた区画内に文字を刻み入れた。現在は一部が欠損し、56字だけが残っている。
碑文の内容は“甲寅年正月九日、奈祗城砂宅智積、慷身日之易往、慨體月之難、還穿金以建珍、堂鑿玉以立寶塔、巍巍慈容、吐神光以送雲、峨峨悲貌、合聖明以×(甲寅年正月9日、奈祗城の砂宅智積は体が日に容易く往き、月に容易く戻るのが困難なことを嘆き悲しみ、金を穿ち珍しく貴重な堂を建て、玉を削って重宝な塔を建てると、高く慈悲深い姿は神光を吐き、雲を送るようで、高雅で仁恵深い姿は聖明を解いて□□ようだ)”というものである。
文体は四六駢儷体で、書体は欧陽詢体である。砂宅智積は大佐平として倭国にも行ったことのある百済末期のエリートである。