斥邪綸音
  • 年代

    朝鮮

  • 材料

  • 寸法

    35x22

  • 番号

    新收 1678

 1839年(憲宗5年)に天主教の弊害を防ぐために百姓に下した綸音で、百姓に天主教を退けることを教え諭す内容である。“綸音”とは国王が官吏や百姓に勧農、斥邪、救恤などを教え諭し、勧める文書をいう。
 内容は、朝鮮太祖が開国の国是として人が守るべき道理をはっきりさせ、道学をあがめ尊んだことと、歴代の教訓・格言などを並べ、斥邪帰正の要旨を収めていて、これにハングル訳を付け加えている。
 斥邪帰正は1839年に趙萬永(1776〜1846)らが主導した“己亥邪獄”によってエンベル(L.M.J. Imbert)主教、モバン(P.P. Maubant)神父、シャスタン(J.H. Chastan)神父、丁夏祥らおよそ70名の天主教徒が処刑された後、憲宗によって下されたもので、著者は趙寅永(1782〜1850)と知られている。
 このように漢文とともにハングルを使用したことは、当時の天主教が上層階級のみならず一般にまで広く伝わっていたことを知らしめる