草花文胎壷、印花文四耳壷
草花文胎壷、印花文四耳壷
世宗(セジョン)の第一女、貞昭公主の墓でみつかった壷です。植民地期に、貞昭公主墓が京畿道の高陽市・碧蹄面・大慈里(コヤンシ・ピョクジェミョン・テジャリ)から、西三陵へと強制的に移葬された際、一緒に埋められた遺物と思われます。形態から胎壷であると思われ、貞昭公主が生まれた1412年から、死亡した1424年の間の作品と推定されます。2つの壷は、文様の装飾技法が対照的で、象嵌青磁から印花技法の粉青沙器へと発展する過渡期的な作品です。