- Date2018-12-11
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高麗建国1100年記念
国立中央博物館特別展「大高麗918∙2018 そのきらびやかな挑戦」
◎ 展示日程: 2018.12.4.(火)~3.3.(日)
◎ 展示場所: 国立中央博物館 企画展示室
◎ 展示品: イタリア国立東洋美術博物館の≪阿弥陀如来図≫など約450点(国宝19件、宝物33件など)
◎ 出品機関
-海外:大英博物館、メトロポリタン美術館、日本東京国立博物館、大阪市立東洋陶磁美術館など 4カ国11機関
-韓国:法宝宗刹海印寺、サムスン美術館リウム、湖林博物館、澗松美術文化財団など34機関
世界中から一堂に集まった高麗
国立中央博物館(館長裵基同)は、特別展「大高麗918∙2018 そのきらびやかな挑戦」を開催します。同展は、従来のジャンル別の展示とは異なり、高麗美術を総合的に考察する展示で、海外(アメリカ、イギリス、イタリア、日本)4カ国11機関を含めた計45機関が所蔵する高麗の文化財約450点を一堂に集めました。
高麗(918~1392)建国1000年に当たる1918年は日本の植民地支配下にあったため、建国1100年の意味はより大きいものになるといえるでしょう。そこで、2017年12月に国立済州博物館が「三別抄と東アジア」を開催したのをはじめ、国立扶余博物館、国立清州博物館、国立春川博物館、国立弥勒寺址遺物展示館、国立全州博物館、国立大邱博物館、国立公州博物館など全国各地の国立博物館も各館の性格や特性に合った特別展を開催してきました。「大高麗」展は、当館が企画してきた高麗をテーマにした一連の展示の総決算です。展示品の規模や質において、高麗美術を総合的に考察する大規模な特別展といえます。
918年、太祖王建は、分裂していた時代を乗り越え、統一国家高麗を建設しました。そして、韓国の歴史上初めて、国土の中心に位置する開京が首都になりました。この時期の北東アジアは、様々な民族や国家の興亡盛衰で激変していました。高麗は前の王朝の文化や伝統を排斥せず、開かれた姿勢で融合しました。外国人を宰相に登用するほど開放的で、物的・人的交流が盛んに行われました。中国本土に建国された宋(960~1279)や、契丹の遼(916~1125)、女真の金
(1115∼1234)とも長い間国交を維持しました。その後、世界の歴史上類を見ないほどの大帝国を建設した元(1271~1368)とも、政治的な干渉を受けながらも文化的・経済的交流を保ちました。
展示構成
高麗が周辺の国々と活発に交流しながら築き上げたきらびやかな美術と文化に迫る本特別展では、4つのテーマの物語を用意しました。最初の物語は、高麗の首都開京から始まります。外に向けて開かれた社会、高麗の海路や陸路で運ばれた様々な文物と交流の様相を探ります。国際都市だった開京には、多くの外国人が訪れました。1123年6月、宋の徽宗が200人余りの使節団を開京に送りました。それを率いたのが徐兢(1091~1153)です。徐兢は、高麗での1カ月を『宣和奉使高麗図経』という書にまとめました。異邦人の目から見た高麗はどんな姿だったのでしょうか。
一方、「最上の美しさ、王室美術」では、王室の権威を象徴する多彩な美術が紹介されます。高麗王室は美術の最大のスポンサーであり、王室の主導のもと、絵画・金属工芸品・螺鈿漆器・磁器など最高級の素材を使った新しい物質文化が生み出されました。あらゆる物流の中心地だった開京の繁栄の説明が終わると、企画第2室へ続きます。
2番目の物語は高麗の寺院の美術です。高麗時代には仏教や儒教、道教など多様な思想が平和的に共存していましたが、文化の面では仏教文化がその頂点に立ちました。1100年の知恵が込められた不思議な世界をご紹介します。
高麗は世界で初めて金属活字をつくりました。中世ヨーロッパの修道士の日課が聖書の筆写と祈祷から成っていたのと同様に、高麗の僧侶も経典を書き写していました。筆写から印刷への転換は、世界史のパラダイムを変えるような出来事でした。洋の東西を問わず、印刷文化は、修道院や寺院という信仰の空間と、聖書や経典という宗教の聖典を媒介として花開きました。
大蔵経は、仏教の聖典というだけではありません。知識を体系化し、普及させようとした人類の知恵が込められています。大蔵経板が奉安されている海印寺蔵経板殿は、真理に向かって進んだ当時の努力が表れた巨大な図書館のようです。その大蔵経が展示されることで、人類の知恵と疎通の努力が現在も有効であることを確認できます。
また、高麗の仏像と仏画に出会う巡礼の旅も用意しました。信仰の中心である仏像と仏画にも、高麗文化の独自性と多元性が表れています。地域ごとに異なる特徴を見せる高麗の仏像、そして仏像の中に納められた納入品や繊細な織物は、北東アジアの仏教儀礼の謎を解くことができる重要な鍵です。青陽長谷寺の薬師如来坐像は、1000人を超える僧俗が願をかけたとされています。10メートルを超える発願文には、無病息災を祈った700年前の人々の願いが込められています。
大高麗展の第3部は「お茶のある空間」…高麗の茶店です。高麗の寺院の知恵と願いを追う道を行くと、昔の寺院の入り口にありそうな茶店にたどり着きます。茶店は、現代におけるカフェのように、高麗の人々の日常に深く定着していた空間です。本展では、お茶が高麗の人々の暮らしと精神世界に及ぼした影響に着目し、視覚と嗅覚、聴覚で高麗の茶店を体験できるよう工夫しました。高麗の茶店から見える景色、耳をかすめる音、お茶を淹れる香りを展示空間で楽しめるように企画しました。
お茶は国や王室、寺院の様々な儀礼や行事で使われ、高麗の人々の暮らしに根づいていました。茶店では高麗の知識人に会うことができます。高麗の知識人は、国家運営の理念である儒教的な教養を身につけ、官僚制的秩序の中で高麗社会をリードしました。そんな彼らは、詩や書道、絵画といった文芸のほか、工芸品を愛し、それらに対する高い見識を持っていました。そのため、この時期の芸術はよりレベルの高いものとなりました。
展示の4番目の物語は「高麗の輝かしい技術とデザイン」で、ここでは、優れた芸術性を誇る工芸美術をご堪能いただけます。高麗の美術は、挑戦の歴史です。自然から得た様々な材料と、それを加工できる技術は、10世紀から14世紀にかけての時期に北東アジアで確立されました。そして、その技術をどこに、どのように使うのかという決定が偉大な芸術を生み出しました。
優れた技術さえ持っていれば、外国人の職人でも国が主導する工房で働くことができるという寛容な制度のもと、高麗のきらびやかな美術が花開きました。高麗青磁が当時の新技術に対する高麗の人々の挑戦を見せてくれるものであるとすれば、精巧で繊細な高麗仏画の美しさと螺鈿漆器の緻密さは、絶え間ない挑戦によって到達した芸術性の頂点です。高麗の人々は、外国と交流することにより技術や美感、趣向を融合させ、優れた美術品を生み出しました。その結果、朝鮮半島の文化はより豊かになり、華々しい時代を迎えることになりました。
エピローグ
大高麗特別展は、高麗美術を中心に、10~14世紀に北東アジアで展開された文化交流とそれによって生み出された文物を紹介する展示です。異なる文化が交流する中で共有される普遍性と、各国が創り上げる固有性は、新たな統合の時代にも求められる価値です。高麗の美術を通して、高麗が築き上げた文化に出会い、今日の私たちを形成しているアイデンティティーを振り返っていただければと思います。