推薦動線
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先史・古代館 > 旧石器
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年代
韓国 - 旧石器
- 材料石 - その他
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分流
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"握斧(ハンドアックス)は旧石器時代の石器の1つで、全体的に楕円形であるものの、先端部が鋭く尖っています。手で握り、様々な用途で使用していました。旧石器時代の人々は、あらかじめ全体の形を考えたうえで握斧(ハンドアックス)を作っていたと考えられます。ホモ・エレクトス(Homo erectus)の時代、約170万年前から10万年前まで使用されたと推定され、西ヨーロッパや中東、アフリカ、イギリス、インド、東アジアに及ぶ広い地域で見つかっています。 この握斧(ハンドアックス)は、漣川郡全谷里で出土したものです。1940年代初め、アメリカの考古学者モヴィウス(H. L. Movius)は、旧石器文化をヨーロッパの「握斧(ハンドアックス)文化圏」とアジアの「チョッパー文化圏」に分け、東アジアには握斧(ハンドアックス)がないと主張しました。しかし、1978年に東アジアでは初めて全谷里で握斧(ハンドアックス)が発見され、こうした二分法的理論は否定されました。"
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先史・古代館 > 新石器
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年代
韓国 - 新石器
- 材料土製 - 軟質
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分流
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"韓国の新石器時代の代表的な土器である櫛文土器で、今から約6,000年前に作られたものです。全体的にV字型をしており、大きく口縁部、胴部、底部の3つの部分に分けて様々な文様を施してあります(施文)。新石器時代の土器の文様には、幾何学文、植物文、動物文などがあります。施文する際は、表面に文様をつけたり、粘土帯を貼り付けたりする方法が用いられました。均衡感を考慮した左右対称の文様から、新石器時代の人々の優れた空間構成力や美的感覚、水準の高い精神世界を見て取ることができます。 新石器時代の人々は、粘土を焼くと硬くなるということを偶然知り、こうした性質を利用して土器を発明しました。土器を使用するようになったことで、食品を貯蔵したり調理したりできるようになり、定着生活が確立しました。また、それまで使わなかった植物資源を活用するなど、人類の生活方式に大きな変化がもたらされました。"
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先史・古代館 > 古朝鮮
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年代
韓国 - 初期鉄器
- 材料金屬 - 青銅製
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韓国の青銅器文化は、紀元前5~4世紀頃の遼寧式銅剣が作られた時期と韓国式銅剣が作られた時期の文化に分けられます。名称からもわかるように、韓国式銅剣は、韓半島特有の青銅器文化が形成された時期を代表する遺物です。遼寧式銅剣に比べて刃部が細く、直線的に伸びていることから「細形銅剣」とも呼ばれています。遼寧式銅剣と同様に、剣身と柄が別々に作られており、剣を研磨する方法や形などによって製作された地域や時期がわかります。初期の韓国式銅剣は、くびれた部分の節がはっきりしていませんが、後期になるとはっきりとした節をもつようになります。多くは、墓から多鈕細文鏡や青銅鈴、玉類、土器などとともに出土しました。1つの墓から多量の青銅器が見つかる例が多いのですが、これは「1人の被葬者」のために、簡単に手に入れることのできない青銅器を数多く副葬したという点で、当時の社会に強力な支配者が登場していたことを示すものです。また、韓国式銅剣は単なる武器ではなく、支配者の政治的権威の象徴という意味ももっていました。
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先史・古代館 > 古朝鮮
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年代
韓国 - 初期鉄器
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
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多鈕細文鏡は、韓国式銅剣文化を代表する青銅鏡です。前の時期の多鈕粗文鏡が中国東北地域や沿海州、韓半島、日本列島で発見されているのに対し、多鈕細文鏡は大同江以南で見られることから、韓半島で生まれたことがわかります。多鈕細文鏡は、多鈕粗文鏡と同様に、鏡の裏面中央に紐を通す鈕(ちゅう)が2~3個付いています。しかし、多鈕粗文鏡よりはるかに精巧な文様が施されているのが特徴です。精細な文様をあらわすために、細かい砂で砂型を作り、それに文様を彫り込んで、青銅を流し込みました。そして、青銅が固まると、砂型を割り、文様のない鏡面を滑らかに磨きました。多鈕細文鏡は正確な同心円が描かれており、多鈕粗文鏡に比べて線と線の間隔も非常に狭くなり、文様を施す技法の発達が見られます。青銅器製作技術が大きく発展した結果、このように精密な文様を施せるようになったのです。こうした多鈕細文鏡は、太陽を象徴する儀式用の道具、または宗教的権威の象徴であったと思われます。
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先史・古代館 > 古朝鮮
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年代
韓国 - 青銅器
- 材料金屬 - その他
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分流
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青銅鈴は、韓国式銅剣文化の全盛期に韓半島中西部で出現しました。竿頭鈴や双頭鈴といった種類のものが、韓国式銅剣や多鈕細文鏡とともに当時の墓から出土しています。その後、青銅鈴を含む青銅器製作の中心地が韓半島の東南部地域に移動しましたが、この地域では主に錨形銅鈴、蚕形銅鈴、竿頭鈴などが発見され、鈴の種類や製作技法に変化が生じたことがわかります。青銅鈴は儀器として使用されたとみられ、当時の儀礼において「音」が重要な役割を果たしていたことがわかります。とくに、竿頭鈴の音の出る部分が時代とともに長い形になり、中に入れる玉も大きくなっていることから、「音」を出す機能が一層強調されたものとみられます。このように、青銅鈴は、その形態や機能の面で韓半島の青銅器の独特な性格をよく表している代表的な遺物といえます。
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先史・古代館 > 夫餘/三韓
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年代
韓国 - 伽耶
- 材料ガラス/宝石 - 水晶
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分流
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"透明な水晶を削って面をつくり、それらをつなげたこのきらびやかな頸飾は、金海良洞里遺跡の木槨墓から出土したものです。美しい装飾品を身につけたいという欲望は古くから存在し、新石器時代からすでに人々は玉などを加工して装身具を作りました。頸飾は、ほぼすべての時期にわたって作られたとみられますが、作られた時期によって材料や形態が異なります。鉄器文化を特徴とする三韓時代には、水晶、瑪瑙、琥珀などさまざまな材料を使い、中国から流入したガラス製作技術で作られた頸飾が流行しました。 『三国志』の「魏書東夷伝」によると、三韓では、金や銀よりも玉やそれを磨いてつなげた装飾品が珍重されました。この記録を裏付けるように、三韓時代の墓からは様々な天然石の装飾品が出土しています。とくに、慶州や金海といった辰韓・弁韓地域では水晶の頸飾が多く作られ、この頸飾からは三韓の人々の優れた水晶加工技術と高い美的感覚が見て取れます。このほか、三韓のガラス製作技術もさらに発展し、赤や青など色とりどりのガラスビーズが作られるようになりました。
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先史・古代館 > 高句麗
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年代
韓国 - 高句麗
- 材料紙 -
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分流
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"高句麗には、生活風俗や装飾文様、四神図など様々なテーマの壁画が描かれた石室墳がありました。壁画墓は、3世紀半ばから7世紀半ばにかけて持続的に作られ、主に高句麗の旧首都である集安と平壌一帯に集中しています。高句麗の古墳壁画は、中国の影響を受けて始まりましたが、高句麗独特の文化として発展していきました。 江西大墓は、羨道と玄室が地上にあり、よく磨かれた大きな花崗岩で壁と持送りが作られています。玄室の壁面に描かれた壁画のテーマは四神で、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武が壁面いっぱいに描かれました。また、持送りには蓮の花、飛天、楽器を演奏する天人、麒麟、鳳凰といった神聖視されるものと、忍冬唐草文、山岳文などを描き、道教思想と仏教における来世を表現しています。そして、天井石の中央には黄龍が描かれています。生き生きとした四神と、天井の流麗な絵から、高句麗古墳壁画の最盛期にどれほどのレベルのものが描かれていたかということを知ることができます。展示されている江西大墓の図は、日本植民地時代の1930年頃に日本人の小場恒吉が模写したものです。 "
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先史・古代館 > 百済
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年代
韓国 - 百済
- 材料土製 -
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分流
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"忠清南道夫餘郡外里の百済の寺院跡で、地面に敷かれた状態で出土した塼(煉瓦)です。塼の四隅には溝があり、塼と塼をつなげて固定することができるようになっています。文様塼とよばれる表面に文様を施したもので、山水文、蓮華文、鳳凰文など8種類の文様が確認されています。縁起の良い動植物などが形象化されていることから、理想的な世界や辟邪(邪悪なものを払い除ける)の意味が込められていると考えられ、百済の人々の精神世界を垣間見ることができます。 山水鳳凰文塼は、下に小川が流れ、その後ろに山々が連なり、左右に奇岩絶壁がそびえ立っています。また、中央の最も高い峰の上では鳳凰が今にも飛び立ちそうに両翼を広げており、鳳凰の左右には幸先の良いことを表す雲が漂っています。この文様塼は不老長生の仙人が住むとされる三神山を表現していて、そこには百済の人々の道教的な世界観が表れています。 "
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先史・古代館 > 伽倻
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年代
韓国 - 新羅
- 材料金屬 - 鉄製
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分流
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有刺利器は、長方形の鉄板の側面をえぐり取ってとげの形にし、下部の穴に柄を差し込んで使う鉄製道具です。そのほとんどが墓から出土していることから、人々が手で持って儀式や葬送の際に使用したと推定されます。伽倻を構成した複数の国で有刺利器が使われましたが、なかでも阿羅伽倻では、とげでなく鳥の形の鉄版を取り付けるという非常に独創的なものが作られました。このような鳥があしらわれた有刺利器は、これまで伽倻地域でしか出土していないため、伽倻独特のものだったとみられます。韓半島の古代の人々は、鳥が魂を死後の世界に導く存在であると考えました。鳥をあしらった有刺利器も、死者の魂をあの世に導くという意味をもち、伽倻の人々の死後の世界観を表しています。
- 位置
先史・古代館 > 新羅
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年代
韓国 - 新羅
- 材料金屬 - 金製
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分流
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この金冠と金製銙帯は、5世紀の新羅の王陵である皇南大塚(慶州市)から出土しました。金冠は、帯に木の枝と鹿の角の形の装飾が立てられた単純なデザインですが、4~5世紀の新羅の最高支配者だった麻立干のアイデンティティと世界観が表れています。金冠とともに麻立干の神聖な王権を象徴するもう一つの装身具が金製銙帯です。金製銙帯には、貴金属で作られた魚や小刀、勾玉などが吊り下げられています。これらは、当時の麻立干の日常生活を象徴的に表現したものです。古代東アジアにおいて、冠は身分を示す代表的な服飾でした。国ごとに独自の冠がありましたが、新羅は、王権の象徴として木のモチーフを冠に採用したという点で、非常に珍しい文化をもつ国です。
- 位置
先史・古代館 > 新羅
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年代
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- 材料土製 -
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分流
- 尺寸
新羅土器とは、一般的に、韓半島の古代国家・新羅で生産された土器群を意味しますが、主に4世紀から統一新羅以前の土器を指します。長頸壺と高杯が多く見つかっていますが、ほかに皿や盞、器台、壺もあります。これらは主に墓から出土していることから、副葬容器または祭器であったと考えられます。古代の人々は、死者が墓の中で生前と同じような生活をすると信じていたため、器などの日用品を死者とともに埋葬しました。東アジアにおいては、中国で早くから磁器が作られたのに対し、新羅では薄くて軽く、自然釉がかかった独特な土器が発達しました。新羅土器は、土器の技術の頂点と評価されていて、新羅は世界に類を見ない独創的な土器文化をもっていたと言えます。
- 位置
先史・古代館 > 統一新羅
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年代
韓国 - 統一新羅
- 材料石 -
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分流
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この十二支像は、慶州市にある金庾信のものとみられる墓の周辺で出土しました。生き生きとした表情のウサギが、鎧を着て剣を持った神将の姿をしています。華やかな装飾が施された鎧が写実的で、天衣が大きくはためいています。金庾信墓は、このように武装した十二支像が周りに埋葬され、さらに、平服姿の十二支像が円墳を取り囲む石(護石)に彫られています。十二支像を副葬する風習は、新羅の時代、中国・唐から入ってきました。中国では十二支の小さな人形を墓に納めましたが、新羅では墓を取り囲む護石に十二支像を彫刻しました。十二支は、時間と方位の守護神とされています。墓においても、鎧を着て手に剣を持った武将の姿で死者を守っているのです。
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中世・近世馆 > 高麗1
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年代
韓国 - 高麗
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
- 尺寸
水分の多い料理や汁物をすくって食べるための道具として、韓半島では古くから匙が使われました。青銅器時代は骨で作ったものが、三国時代には金属製のものが広く使われたとみられています。高麗時代の匙は、食べ物をすくう部分が平らで、大きく反った柄の先端がツバメの尾のように分かれています。このような匙は高麗時代の遺跡から多く出土しており、当時の人々が食生活において箸だけでなく匙も使っていたことがわかります。匙は昔から中国や日本でも使用されましたが、中国の匙は液体をすくう柄杓に近いものであり、日本の匙は主に外国の使臣をもてなす宴会で使われるものだったため、食生活に占める比重は大きくありませんでした。それに対して、高麗では箸と匙を一緒に使って食事をしました。こうした習慣の違いは現在まで続いています。
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中世・近世馆 > 朝鮮1
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料紙 -
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分流
- 尺寸
『龍飛御天歌』は、朝鮮王朝を建てた太祖をはじめその先祖と息子(太宗)の功績や、建国過程などをうたった長編叙事詩で、ハングルに漢文の注釈がつけられています。ハングルは、朝鮮第4代の王・世宗のときに作られた韓国固有の文字です。この本は、訓民正音(ハングル)が頒布される1年前の1445年に完成し、1447年に刊行されました。朝鮮建国の正当性に関する詩歌をハングルで伝えることで、ハングルの権威を高めようとしたことが窺えます。ハングルが創製される過程で初めて作られた文献であるという点や、15世紀の言葉と文学の研究において貴重な資料であるという点で価値を認められています。
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中世・近世馆 > 朝鮮3
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料紙 -
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分流
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儀軌とは「儀式の範となる書」を意味しています。『外奎章閣儀軌』は朝鮮王室の婚礼や葬儀、国王の即位式といった重要な儀式や行事を開催した後、その準備から実行、事後処理までの全過程を文章や絵画で記録した書物です。江華島に設置された図書館「外奎章閣」に保管されていましたが、1866年の丙寅洋擾の際フランス軍との戦いで大部分が焼失しました。残った297冊もフランス軍によって持ち去られていましたが、145年後の2011年に韓国に返還されました。『外奎章閣儀軌』は、高級な紙に儀式の詳細を記して天然顔料で絵を描いた後、高級な絹の表紙をつけてあります。主に王が閲覧する目的で作られましたが、図書として当時最高の品質と芸術的品格を兼ね備えています。一冊しか伝わっていない孤本が相当数含まれており、極めて貴重な資料です。儀軌は、同じく儒教の影響を受けた中国や日本、ベトナムなどでは見られない韓国独特の記録遺産です。
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書画館 > 書画
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年代
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- 材料石 -
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分流
- 尺寸
朝鮮の王は、多くが文芸に長けていました。世子のころから長い間教育を受けただけでなく、王位に就いてからも勉学を続けるため、文筆や書道において優れた能力を持つようになったのです。王は、即位すると、先代の王の書を収集して石に刻んだ「御筆石刻」を制作するという習わしがありました。これには、歴代王の偉業を継承するとともに孝を尽くすという意味が込められています。歴代王の書いた文章が刻まれた御筆石刻は、ソンビ(学徳を兼ね備えた人)の国朝鮮において王室の文化的優越性と正統性を誇示するための手段でもありました。ほかに、王の書の拓本を取って広く普及させるという目的もありました。『列聖御筆』は、御筆石刻の拓本を集めた書帖で、幾度にもわたって刊行されました。歴代王のなかでも名筆と名高い宣祖は、石峯韓濩という当代最高の書家の後ろ盾となり、韓国の書道史に大きな足跡を残しました。朝鮮王室の格調高い文芸の跡が、石に刻まれて今日に伝えられています。
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書画館 > 仏教絵画
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料糸織 -
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分流
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" 掛仏幀は、多くの人が集まる法会や儀式が開かれたときに屋外に掛けられた大型の仏画です。高さは通常8~9mほどで、大きなものでは12mを超えることもあります。 掛仏幀は中国や日本ではあまり見られない、朝鮮時代の独特な仏画と言えます。朝鮮時代には壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や丙子胡乱といった戦いや自然災害で多くの人が亡くなったため、死者の冥福を祈るために薦度(死者の霊魂を極楽に導くこと)の儀式が頻繁に行われました。 掛仏幀は、死後の極楽往生を願って生前に供養を行う「予修斎」や、死者の魂を極楽に導く「水陸斎」の際に使われたほか、「霊山斎」「観音斎」などの仏教儀式にも用いられました。そして、これらの仏教儀式は今日まで受け継がれ、韓国の仏教文化のアイデンティティを形成するひとつの軸となっています。 "
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書画館 > 木漆工芸
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料木 -
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分流
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華角は、牛の角を薄く削って板状にした「角紙」の裏面に文様を描き、木製家具の表面に貼りつけるというもので、中国や日本では見られない朝鮮の独創的な装飾技法です。鼈甲の裏面に色をつけて装飾したのが始まりとされています。鮮やかな色の顔料で文様を施していて装飾性が高く、主にアンパン(奥の間。女性の生活空間)に置く家具や櫛など女性用の物に使われました。この箱には、華角で、想像力あふれる絵が描かれています。龍や虎、ヘテ(獬豸)、象といった動物をはじめ、童子や牡丹など福を招くとされる象徴物が角紙一枚一枚に描かれて組み合わせられています。背景に塗られた赤色は、邪気を払うという意味を持つほか、空間を華やかに飾ってくれます。朝鮮時代の女性たちの安穏な暮らしと美しさへの願望が華角函に表れています。
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彫刻・工芸館 > 仏教彫刻
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料金屬 - 金銅製
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分流
- 尺寸
京畿道南楊州水鐘寺の金堂のそばにある八角五層石塔を解体修理する際に見つかった30体の仏像の中の一部です。展示されている仏像と菩薩像は、宣祖の妃である仁穆大妃が願をかけて1628年に石塔の中に納めたものです。一つひとつ手の形や装飾が少しずつ異なり、全体を見ると変化と多様性が感じられます。大型の仏像では表現できないような可愛らしさが顔にあふれています。朝鮮時代の仏像は、これらの仏像のように頭部が大きく、顔が前に突き出ています。これは、朝鮮時代に入って建物の中で執り行われる儀礼が増え、高い位置に奉安された仏像を近くで礼拝するようになったという変化によるものと考えられます。
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彫刻・工芸館 > 金属工芸
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年代
韓国 - 高麗
- 材料金屬 - 銅合金製
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分流
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"仏教儀式に用いられる鐘は、中国、韓国、日本のいずれの国でも作られましたが、鐘身や竜頭の形、表面の装飾などが異なります。中国と日本の鐘は、竜頭が2匹の竜から成っているのに対し、韓国の竜頭は1匹です。(後に朝鮮時代になると、韓国でも中国の影響を受けて双竜式の竜頭が登場しました)また、韓国は竜頭の横に音を響かせるための音筒がある一方、中国と日本の鐘には音筒がありません。 この「天興寺」銘銅鐘は、そうした韓国の鐘の特徴が現れた高麗時代のものです。鐘身の中央に位牌の形の装飾が施されているという点が独特です。位牌の中には、この鐘が聖居山の天興寺という寺院で使用するために1010年に作られたという内容が記されています。そして、竜が頭をもたげて正面を向いている姿の竜頭は、高麗時代に登場したものです。
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彫刻・工芸館 > 青磁
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年代
韓国 - 高麗
- 材料陶磁器 - 青磁
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分流
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この梅瓶は、小さな口をはじめ、堂々としながらも柔らかい雰囲気の肩、下に向かってしなやかな曲線を描く腰、わずかに広がって安定感を与える底部など、高麗青磁梅瓶の曲線美がよく表れています。また、文様も目を引きます。肩には白黒象嵌で大きな輪郭をあらわし、その端にメドゥプ(飾り結び)を描いて、まるで梅瓶の肩に装飾織物をかぶせたように見える効果を出しています。胴部の中央には、富貴の象徴とされる牡丹が大きく描かれています。花は白黒象嵌であらわした後、銅を主成分とする赤い顔料で生動感を与えています。銅の顔料は、青磁を焼くときの高温では蒸発しやすいため、当時の東アジアでは広く使用されていませんでした。しかし、この梅瓶では銅の顔料で鮮やかな赤色を出していることから、高麗の職人の技術水準の高さがうかがわれます。装飾的な要素が加味された13世紀の高麗の梅瓶を代表するこの作品から、当時の貴族の高級感あふれる趣向を感じることができるでしょう。
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彫刻・工芸館 > 青磁
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年代
韓国 - 高麗
- 材料陶磁器 - 白磁
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分流
- 尺寸
"高麗青磁は高麗時代の工芸を代表するものですが、当時白磁も広く製作されました。高麗時代初期に作られた塼築窯で白磁が焼かれたことが明らかになっており、以降、代表的な青磁生産地である全羅道扶安や康津などの窯跡からも白磁が発見されています。高麗時代の白磁は、青磁の形や文様をまねて作られており、象嵌青磁が流行した時期には、象嵌青磁の影響を受けた白磁も製作されました。この白磁梅瓶がその代表的な作例です。 胴部は瓜のように6等分して溝を作り、各面に菱形の輪郭を象嵌してあります。そして、その菱形の中に青磁の胎土で面象嵌を施し、牡丹、葦、柳などを白黒象嵌であらわしています。白磁に青磁の胎土をはめ込むことで、高麗青磁と白磁を一つの器に盛り込んだのです。こうした作品は、白磁と青磁のどちらも作っていた中国でもあまり見られないもので、高麗の職人の創造性が表れています。 "
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料陶磁器 - 粉青
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分流
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"粉青沙器とは「粉粧灰青沙器」の略称で、白土の「粉」を塗って装飾した陶磁器という意味です。様々な技法で装飾された粉青沙器には朝鮮時代の人々の美意識が表れており、とくに暗い色の素地と、白色の化粧土の絶妙な対比と、簡潔でありながらも親近感を与える文様が目を引きます。 横に長い円筒形の胴部をもつ獐本は、液体を入れて貯蔵したり、持ち運びやすくしたりするために作られた器です。一方の面には水草をくわえてのびのびと泳ぐ魚が、もう一方の面には生き生きとした牡丹の葉の文様が描かれています。魚はたくさんの卵を産むことから「多産」を象徴するとされています。また、中国では「魚」の発音が「余裕」を意味する言葉と発音が同じで、ゆとりのある生活を送ることを願う気持ちを込めて工芸品の文様として重用されました。"
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彫刻・工芸館 > 白磁室
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年代
韓国 - 朝鮮
- 材料陶磁器 - 白磁
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分流
- 尺寸
"豊満な量感と流麗な曲線が生み出す造形美は、朝鮮前期に製作された白磁瓶ならではの美しさです。中国・唐の詩人李白の詩に出てくる「玉壺を青絲に繫いで酒を買いにやらせたが、帰ってくるのが何と遅いことか」という一節を表現したようなこの瓶は、高台内にハングルが書かれていることから、1443年のハングル創製以降に作られたものであることがわかります。 当時朝鮮では、文様のない純白磁や青い青華顔料で絵付けした青華白磁が好まれたため、このように鉄画顔料でシンプルな紐文を描いた白磁瓶は、極めて珍しい作例と言えます。上から下へよどみなく筆を走らせて描いた力強い線と、控えめながらも大胆な構成は、現代的な美感と相通じるものがあります。"